エッセイⅣ mixi日記アルヒーフ!We love 3プロ.!

わしら広島の誇り!We love 3プロ.
わしら広島の誇り!We love 3プロ.
 5月3日はまたまたサンフレ対山形戦を観戦に行きます。何度も書いていますが、サッカー観戦もプロ野球観戦も音楽の生演奏などのイヴェントも私は共存すべき大事な文化!それが当たり前の町で今まで私は育って来ました。
 広島はもちろん、東京、ミュンヒェン、ベルリンと研鑽や生活を続けてきてこれらは皆、いつも身近にありベルリンフィルやオペラの主演歌手の演奏の出来にも一喜一憂!応援すべきチームの勝ち負けにサポーターとしてまた一喜一憂!それらをテレビで見ないで自分自身の耳、すなわち生で聞いたり見たり出来たこと!私は本当に幸せな人生であったと思っているのです。残念ながら今はそういう環境が極めて少ないところに居ますから、オーケストラやプロ野球のチーム、サッカーJリーグのクラブチームの地域における大事さ、素晴らしさをまるで知らない方々が大変多い。だから、やはり生で見る文化(音楽の)の素晴らしさも浸透させるには相当な努力がいるのです。さらに自前の3プロが無いと音楽に対してJリーグやプロ野球観戦をただの“お遊び”とか“オサボリ”程度しか理解出来なのでは寂しい。こう言う方々には特に3プロ文化の融合の大切さを学んでいただくべき人たちなのです。そういう方々はこの写真のパネルのような3つのプロの融合をどう見るのでしょうか?たぶん理解できないかもしれませんね。1部の全国規模のファンの多い?球団の試合だけテレビで見れれば全て良し!そんな文化程度なんて寂しい限り、しかもこんなコメント→→「あんたら貧乏球団ばもって大変なァ~」この意味は「○人ば応援すれば済むのに身の程知らずにも球団なんか持って大変だね!」と、言われているのと同じ意味なのです!球団を持てないような地域でも○賣ファンって結構こういう見下し方があるのかって、今住んでいる地域でこんな発見に驚きながら生活している私なのです!
 先週のKKウイングでは熊本のいくつもの大学の広告が出ていました。もちろん広島ビッグアーチでももちろん、スコアボードにも電光掲示の学校の宣伝だってある。カープの試合のある広島市民球場でも沢山の全国の大学の宣伝のボードが本当に目に入る。私立の多くの大学はすでに、たとえ教育機関とは言えども、一流企業の戦略と同じように沢山の集客の場所における自己宣伝の広告の重要さを理解しているみたいですよ。それにしてもKKウイングでのサンフレッチェ戦はJ2首位の球団との直接対決なのにたったの5千人の観客数とは寂しい限り!今年初めて(2008年)自前のプロ球団を持ったのにもっと愛情を持ってほしいものです。私たちのカープだってサンフレッチェだって、又は阪神タイガースのファンも皆弱い球団から始まり皆がサポーターとして支援し球団を育てて来て選手と共に優勝の美酒&喜びを分かち合う幸福を得たのです。そんな気持が薄いのはやはり野球界での、上から何事にも見下してしまわないと気がすまない先ほどのコメントのような○賣ファン気質の影響なのでしょうか?
私のカープ狂ぶりはこちらの写真!をご覧になってください
 
 これはまったく別の1つの例、音楽とは絶対に融合してもらいたくない存在と心底思った! 私の1992年の体験です。
 能登半島のある高校で鑑賞教室のコンサートで演奏したときに出会った唖然とした!出来事なのですが、学校の校長の厳格な指導で体育館の床の固い板の上に生徒全員が、無理やり正座させられ、聴かされていました。
 それにこれが校長の演奏会前の"訓示!”たとえ音楽を聴いて美しいと思っていても一切、体を揺らすことも許されない。微動も絶対許されない。司会者が冗談を言っても笑うことも許されない。とにかく静止でいること!そんな誤ったしつけ?をさせられていた生徒が可哀想でした。私たちはその校長のそんな“しつけ?”の教育目的ためにこの高校から演奏の招聘を受けたのです。そういう思想に共感をお持ちでなかったら、この時の生徒がいくら私たちが素晴らしい演奏しても音楽が好きになる人間はいない。むしろ嫌いになる人ばかりになるだろうと誰でも理解できると思います。(これ本当にノンフィクションですからお間違いなく!)
 現状として音楽で生活するのが難しい大きな原因に「音楽を楽しんでくれるお客」の絶対数があまりに少ない。音楽は好きだけどクラシック音楽は嫌いという、特におじさんにこういう人が多い。なぜかといえばほとんどが学校で音楽が嫌いになっている。たとえば給食時にだまって食事をさせる強制手段としてクラシック音楽を放送で流して、ひどい所では同じ曲を何年も無理やり強制的に生徒は聴かされている。そんな地獄のような状況!私だって音楽嫌いになりますよ。そういう人が多ければ多いほど音楽に理解を示さない。そうなると音楽のためのお金の動きが少ない→仕事が少ない。→音楽でメシを食えない!こんなふうに、悪循環となるのです。ましてや田舎に行けば音楽のような形の無いものにお金を払うこと自体が信じられないと思っておられる方も多い。
 音楽家を育てようとしている私たちも含めた「人に音楽を教えてしかも、人を育てている所!(いわゆる教育の場)」が、このように音楽の夢どころか音楽を嫌いにさせて、音楽の天敵のような、または商売仇人材に結果的になっている皮肉な現実も同じ立場の人間としては辛いながらも認めなくてはいけない。それだけじゃなく今、仕事をしているところでも音楽に夢もって入学しながら退学してゆく人たちに対して心が本当に痛んでいながら毎日の日々を送っている!そんな私がいるのです。
 もちろん全部ではありません。世の中には素晴らしい先生に出会えて音楽を一生愛している人も沢山いるはず。私は運良くそういう先生に沢山出会えて、平和の大切さを学ぶことが出来ましたし、音楽とクリスチャンの世界から「愛の大切さ」も学べたし、旧西ベルリンでは「自由の大切さ」も学べたので、今でも音楽を愛し演奏を続けていられるのです。(広島で生まれてよかったのです!偏った保守社会に育たなくて良かった)
 でも、能登のコンサートでの出来事は決してそこだけとは思えない!今でもそんな人間が決して消滅したとは思えない。音楽に不理解な思想の悪例としてきっとまだどこかの○校で存在していると思います。音楽を妙な教育の手段に使うことは本当にやめてほしい。それは私たちの生活を脅かす、音楽愛好家を無くしてしまう具行!軍歌を使い軍事教育の手段にしていた時代とまるで変わらない。こんな教育は本当に→「ヤメテくれー!」私は昔も今もずっとそう叫び続けているのです。 この日記は2008年5月に執筆しました!
音楽は妙な教育の手段にあらず!微力なれど私は彼らに音楽で愛と夢をプレゼントしたいのです!
音楽は妙な教育の手段にあらず!微力なれど私は彼らに音楽で愛と夢をプレゼントしたいのです!
私からのお願い♪みんな音楽をずっと好きになってください!
私からのお願い♪みんな音楽をずっと好きになってください!